雅楽会の楽生達に聞きました。
―――普段の徳明先生はどんな感じですか?―――
普段と言っても私達は、ほとんど毎日先生方にお会いしておりますので(笑)。雅楽のみならず学問に関しても、偉大な人だと思っています。しかし、実はお茶目な部分がたくさんあるのです。例えば、1〜2時間は平気で入っていられるほどの温泉好きだったり、利きソフトクリームの第一人者だったり。普段のお稽古では知ることの出来ない一面が、地方公演に出かけると垣間見られるのが、楽しみなんです。次は先生、何をするだろう?みたいな(笑)。
―――徳明先生は厳しいですか?―――
お稽古の時は本当に厳しいですよ。気が緩んでいたりした時には、大声で怒られて泣いてしまったこともあります。瑞穂雅楽会のみんなは、真剣に雅楽に取り組んでいるので、怒られ方も超一流なんですよ.。
―――徳明先生が今一番関心があることは何だと思いますか?―――
もちろん、愛娘の千尋ちゃんだと思います。今二歳なんですよ。とっても可愛いんです!最近は「娘が宮崎映画の主役になるとは!」なんて、おっしゃっていましたよ。
―――この写真(右参照)は、徳明先生の奥様が「一番かっこいい夫」の写真として(一同、笑)大切にされているものなんですが、これを見てどう思いますか?―――
わぁー!!!ほそーいっ!かっこいいですねぇ―。あ、でも先生、ダイエットするっておっしゃっていたから、こういう姿もしばらくしたら見られるかもしれないですよね。クリ、仙台から帰ってきちゃったりして(笑)。
編集部注:「クリ」さんとは、徳明先生の熱烈なファンでありながら進学の都合で現在仙台にいる楽生さん(ちなみに彼女の持ち管は篳篥だそうです)のことだそうです。
―――雅楽との出会いについてお聞かせ下さい。―――
最近は何が本職なのかわからないような日々を送っていますので、皆さんに忘れられていると困るんですが、私は、瑞穂雅楽会の事務局がある於玉稲荷神社に生まれ育ち、現在はそこの神職(禰宜)でもあるわけです。子供のころから、祭礼の折に聞こえてくる雅楽の音色は、幼い私の周囲に当たり前にあるものの一つでしたから、雅楽器に興味を持つようになるのは必然でもあったわけです。
―――いつから雅楽を習いはじめたのでしょうか?―――
9歳、小学3年生のときでしたか、本当に遊びの延長で篳篥を手にしたんですよ。『越天楽』なんてすでに頭の中にしみついてましたから、雅楽の譜面が全く読めなくても、はじめの指はこうで、次がこうで…。そんな調子で覚えていけるわけですよ。もっとも、教える先生のほうは、子供でも音の出るようにリードを削るのにえらく苦労されたと思いますけどね。現在は私も各地で初心者向けの講習を頼まれてますから、その気持ち、よーくわかりますよ(笑)。
―――やはり幼いうちに管楽器から始めるのがいいのでしょうか?―――
いや、管楽器を吹くにはそれなりの体が出来て来ないと難しいですからね。むしろ子供のうちは舞から入るのがいいでしょうし、今はすっかり少なくなってしまった所謂「楽家」でも昔からそれが一般的な雅楽の習得手順だったようですよ。
ただし、幼いうちから良い演奏を数多く聞いて「耳を作る」ことは不可欠でしょう。飽くまでも「良い演奏」でないと完全に逆効果ですけどね(笑)。雅楽には独特の「音程」「旋律」や「間」があるわけで、これらを耳から自然に身につける必要があるのです。
もともと西洋音楽出身の音楽家で後に雅楽を始めた人は、多くの場合優れた音楽センスを持っていらっしゃるんですが、どうもこれら雅楽の特性ともいうべきものを上手く吸収できていない場合が少なくないんですね。一緒のステージに立っても、彼らが打ち物をするとどうも「間合い」が気持ち悪くて舞が総崩れになっちゃったり、歌物でも旋律がおかしな具合になったり…えらく苦労するわけですよ。それでいてそれらの点を指摘してもこちらの言わんとすることが彼らには理解できないと言うことがしばしばあるんです。感性が違うわけですから処置なしです。
そもそも問題になってくるのは、雅楽を「理解する」のではなく「吸収する」べき次元の事柄なんですよ。高校生ぐらいの年齢で初めて雅楽に接するのでは、既に頭でっかちになりすぎていて理屈抜きで「吸収」することができない部分って、どうしたって出てくるんですね。やはり幼少時、遅くとも小・中学生から親しんでいた人とは差が出来る。
要するに「頭で論理的に考えてから実行する」ようになってしまってからでは既に時機を失してしまっていることってありますでしょう。
―――外国語の習得と似てますね。―――
そうそう。雅楽もそれと一緒。例えば英会話だってね、正しい音を幼少期にしっかり耳に入れておけば多少ブランクがあっても、例えば大学生になってからまた英会話やろうっていう時に、英会話の経験がない人とは全く違った次元の、「良い」発音が出来たりするわけでしょ。
だから雅楽の場合も、幼い時期、周囲に「良い雅楽」の音や舞があるってことは重要なんですよね。
―――では、大人になってからではもう遅い?―――
いや、そういうことではなくて。絶望というわけでは全くないですよ。同じ才能、努力の度合いが保証される場合に出てくるであろう有意差の話をしているわけで。
例えば、私が関わっているテレビ局や新聞社系のカルチャースクールや、自治体の文化振興財団などが主催するワークショップに通ってくる受講生は本当に熱心ですよ。学ぶ熱意そして努力が並大抵ではない。有名な大きな神社の神主が「奉職する神社で必要だから仕方なくて」とか、「雅楽をやるとハクがつくから」などと信じ難い言葉を吐き、いやいや楽器を持ち、その当然の帰結である「聞き苦しい、いい加減な演奏」を慰め合い、ひとつ間違えると「少ない稽古時間で良くできた」と誉めあっているという呆れた現状とは比較にならないほどの情熱や集中力が、一般の受講者にはあるんです。彼らに相対する時、「学ぶ姿勢」の何たるべきかをあらためて考えさせられますよ。
事実、彼らの中には、今のまま努力を重ねて行けば間違いなく「一流の演奏者」になるであろう才能を持っている人材が複数いるわけです。
ですからまず重要なのは才能と努力。そしてこれに「環境的好条件」が加われば理想的だ、ということです。
―――耳が痛い人がたくさんいそうな話ですね。―――
あれ?この手の話をする時は自分のことは棚に上げるのが常識でしょ?(笑)もちろん自戒の念を込めて言っている訳ですがね。もっとも、この話で耳が痛く感じる人は心の真っ直ぐな正直者ですよ。本来痛切にそう感じなければいけない人は、何を言っても涼しい顔してますから。困ったもんですよ。
―――下世話な質問で叱られるかもしれませんが、雅楽の世界を読者の皆さんに身近に感じていただく為の質問なのでお許し下さい。主席楽師は今まで雅楽をされていて「嫌だな」と感じられた事って、ありましたでしょうか?―――
なんだ、そんなことですか。どんな質問かと思いましたよ。「雅楽って儲かりますか」みたいな(笑)。ついでだから申し上げておきますが、儲かるわけないですよ!舞楽装束をはじめ、備品にいくらかかると思います?それらを揃え、修繕してケアして行くのは大変な金銭的負担です。雅楽会への寄付は24時間いつでもお待ちしていますよ(笑)。いやいや、冗談ではなく、本気、本気。まじめな話ですよ。
「雅楽で金儲けをする」という発想は、自分で装束を買ったこともない、ノーテンキな人が言う言葉ですよ。まあ、実際になんにも考えずにそういうことを言う人がいるから困ったものですがね。現実を知らなすぎるというか、それでいて自分の発言に責任を持たないんですからね。あ、そういう人間の存在に直面する経験をしたのは「嫌なこと」かな。
あ、そうそう。他にもありますよ、「嫌だったこと」。
これはまた別の話ですけどね、私が中学生の時、父と初めて雅楽を巡って取っ組み合いの喧嘩しましてね。そのころ既に安倍季昌先生に師事していたんですが、ある時、縁あって当時、宮内庁楽部の楽長をされていた、故 東儀博先生に御指導頂くことになったのです。季昌先生の師匠に当たる方ですので、中学生の私の緊張はひと通りではなかった訳です。しばらくお稽古いただいていたある日、「君、宮内庁の楽生試験を受けてみないか」とありがたいお言葉を賜りましてね。「その試験はいつやっているのでしょうか?」とお尋ねすると、「君が受験する決心をすれば私が作るんだよ」というお答え。そりゃ舞い上がりましたよ。宮内庁楽部の楽生になれば大好きな雅楽をさらに本格的に勉強できるんですから! 最高にやり甲斐のありそうな仕事じゃないですか。身に余る光栄!「父と相談して参ります!」喜び勇んで帰宅しましたよ。ところが、父の大反対。私は3人兄妹で唯一の男子。神職を継ぐ者がいないではないか!ということでした。自分の人生なのに、なぜ自由にならないのか。そりゃぁ、怒り爆発ですよ。
これはもう、どう考えても紛れもなく「嫌だったこと」ですよね。
でも父の反対の結果、大学・大学院で吉田敦彦という尊敬すべき大先生に日本神話のご指導を賜ることができ、その延長上に今日の私があるのですから、今は全く後悔してないですよ。むしろ自由な立場から雅楽を客観的に見、季昌先生や安斎省吾先生のご指導の下、瑞穂雅楽会と言う実戦部隊を育て、以って雅楽の研究・普及活動を展開し得ているのだと考えれば、父には感謝すべきなのでしょう。まぁ、半分はイヤミですけれども(笑)。
―――最後に、一言で「雅楽の魅力」とはなんでしょうか?―――
一言では表現しきれない魅力があることです。
意地悪ですか?(笑) でも事実ですから…。
雅楽の本当の魅力は、実際に自らがいい演奏に参加し、あるいは完成度の高い管方の演奏の下でいい舞を舞った経験のある人にしかわかりません。平安王朝で雅楽が「遊び」として実際に機能していたのは貴族たち自身が演奏者であり、舞手でもあったからに他ならないでしょう。ですから皆さんも是非、雅楽の演奏や舞に参加してください。そうすれば必ずその素晴らしさ、奥深さがわかります。
そこまでの勇気のない方はとりあえず、瑞穂雅楽会のレクチャーコンサートにいらしてみてください。これは雅楽の歴史や楽器、楽しみ方等を、わかりやすくお話ししながら実演を織り交ぜて雅楽を楽しんで行く、瑞穂雅楽会オリジナルの企画です。演奏するだけ、舞を見せるだけの一方通行の演奏会ではない、インタラクティヴなコンサート作りをしていますので、きっと雅楽の魅力の一端を感じていただけるはずです。
各地で時折やってますので瑞穂雅楽会のHPでチェックしてみてくださいね。
ではレッスン会場・あるいはコンサート会場でお会いしましょう。その時を楽しみにしています。
―――ありがとうございました。
今回のインタヴューでは、普段のコンサートの中でのトークではなかなか聞くことのないお話がうかがえました。いつもの如くまだまだ話し足りない様子だったので、主席楽師にはまた別の折にも登場していただくことにします。次回は若手の実力派、龍笛の鈴木祥江氏に登場してもらう予定です。ご期待下さい。
さて、今回の話題にも出ていました瑞穂雅楽会のレクチャーコンサート、近くでは平成13年9月21日(金)夜に江東区文化センター・ホールで行います。チケットは8月1日、チケットぴあ(рO3―5237―9999)から発売になります。今回の入場料は破格値の2000円です。みなさまお誘いあわせの上、是非ご来場下さい。